合唱団エピス 第13回定期演奏会のお知らせ
私が活動している合唱団の演奏会についてお知らせします。
合唱団エピス 第13回定期演奏会
〜未来に、愛と祈りをこめて〜
日時:2012年2月19日(日)13:30 開場 14:00 開演
場所:仙台市青年文化センター コンサートホール
プログラム(予定)
LiebesLieder, Op.52(愛の歌) (J. Brahms)
ソプラノ 中村優子
ピアノ 田原さえ
Requiem Op.48 (G. U. Faure)
ソプラノ 菅英三子
バリトン 高橋正典
オルガン 永沼佳代
「詞華抄」 より 「Eros d'etinaxe moi phrenas 」(鈴木輝昭)
El Guayaboso (G. Lopez-Gavilan)
他
料金:前売り 1,500円 (学生 1,000円) / 当日 2,000円 (学生 1,500円)
このブログを読んで下さった方への特典として、
チケットを特別価格1,000円でお譲り致します。
通常の前売り券よりも、500円お安くしています。
ご希望の方は、この記事のコメント欄に
・お名前
・メールアドレス
・住所
・電話番号
・購入枚数
を投稿して下さい。
投稿されたコメントは表示されないようにしておりますので、ご安心下さい。
追って、こちらからご連絡差し上げます。
非常にお得な価格のため、数に限りがございます。
お申し込みは、お早めにお願い致します。

↑
クリックすると拡大します
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合唱団エピス 第13回定期演奏会
〜未来に、愛と祈りをこめて〜
日時:2012年2月19日(日)13:30 開場 14:00 開演
場所:仙台市青年文化センター コンサートホール
プログラム(予定)
LiebesLieder, Op.52(愛の歌) (J. Brahms)
ソプラノ 中村優子
ピアノ 田原さえ
Requiem Op.48 (G. U. Faure)
ソプラノ 菅英三子
バリトン 高橋正典
オルガン 永沼佳代
「詞華抄」 より 「Eros d'etinaxe moi phrenas 」(鈴木輝昭)
El Guayaboso (G. Lopez-Gavilan)
他
料金:前売り 1,500円 (学生 1,000円) / 当日 2,000円 (学生 1,500円)
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コモディティ化
所定の製品カテゴリー中において、メーカー(製造元企業)ごとの差・違いが不明瞭化したり、なくなること。
(英: commoditization, commodification)
(英: commoditization, commodification)
松本龍復興担当大臣、宮城県知事を叱責、報道陣を恫喝
政権末期に、よくもまあこんな人物を大臣にしたもんだ。
政治は「言葉が命」と言われるが、ここまで酷い暴言は聞いた事がない。
しかも「書いたらその社は終わり」だと?
もろ恐喝じゃん。お前は暴力団か?
世も末です。
これを放送してくれた東北放送(TBC)に感謝。
政治は「言葉が命」と言われるが、ここまで酷い暴言は聞いた事がない。
しかも「書いたらその社は終わり」だと?
もろ恐喝じゃん。お前は暴力団か?
世も末です。
これを放送してくれた東北放送(TBC)に感謝。
本田武久リサイタル「Precious Love」(告知)
学生時代の友人でテノール歌手の本田武久君が、今年も山形でコンサートを開かれます。
詳細は下の通りですので、是非聴きにおいで下さい。
本田武久リサイタル「Precious Love」【山形公演】
2011年 8月 6日(土)14:30〜
山形市 喫茶・ギャラリー「瑳蔵」
テノール:本田武久
ピアノ:和田朝美
料金:2,000円
本田君は「胞巣状軟部肉腫」という原因不明の難病を抱えながらも、精力的に演奏活動を続けています。
しかし病状は進行し、ついに右足を切断するに至ってしまいました。現在は義足をつけながら生活されています。
そんな大変な状況なのに、震災が起きた時は、被災した僕や同級生の事を気にかけてくれていました。どっちが大変なんだか… 本田君の優しさを改めて実感しました。
リサイタルの日には、同窓会も開催します。震災では安否を確認し合い、沢山の励ましの言葉を頂いたりしました。お礼も言いたいし、みんなの顔も見たい。原発問題は相変わらず先が見えないけど、仲間と話して、一時だけでもホッとしたい。
本当に、皆さんに会えるのを楽しみにしています。
本田武久〜Takehisa Honda〜
本田武久 - Wikipedia
詳細は下の通りですので、是非聴きにおいで下さい。
本田武久リサイタル「Precious Love」【山形公演】
2011年 8月 6日(土)14:30〜
山形市 喫茶・ギャラリー「瑳蔵」
テノール:本田武久
ピアノ:和田朝美
料金:2,000円
本田君は「胞巣状軟部肉腫」という原因不明の難病を抱えながらも、精力的に演奏活動を続けています。
しかし病状は進行し、ついに右足を切断するに至ってしまいました。現在は義足をつけながら生活されています。
そんな大変な状況なのに、震災が起きた時は、被災した僕や同級生の事を気にかけてくれていました。どっちが大変なんだか… 本田君の優しさを改めて実感しました。
リサイタルの日には、同窓会も開催します。震災では安否を確認し合い、沢山の励ましの言葉を頂いたりしました。お礼も言いたいし、みんなの顔も見たい。原発問題は相変わらず先が見えないけど、仲間と話して、一時だけでもホッとしたい。
本当に、皆さんに会えるのを楽しみにしています。
本田武久〜Takehisa Honda〜
本田武久 - Wikipedia
「いま」を大切に生きよう
ほぼ日手帳より。
「いま」を大事にしないと、モッタイナイ!!!
みんなで集まることの「いま」を、当たり前のこととして受け止めてきたけど、当たり前じゃなくなるときが、来るわけで・・・・。
改めて、「いま」をしっかりと、全力でふざけたりしながら、たのしもう。
と、思ったのよねーん。これが、アラサーというものなのでしょう。
ーーー『ぼーっとしたミーハー通信。』より
俺はアラフォーなんだが…
震災を経験した今、すごく胸に響く文章です。
「いま」を大事にしないと、モッタイナイ!!!
みんなで集まることの「いま」を、当たり前のこととして受け止めてきたけど、当たり前じゃなくなるときが、来るわけで・・・・。
改めて、「いま」をしっかりと、全力でふざけたりしながら、たのしもう。
と、思ったのよねーん。これが、アラサーというものなのでしょう。
ーーー『ぼーっとしたミーハー通信。』より
俺はアラフォーなんだが…

震災を経験した今、すごく胸に響く文章です。
3月11日、女川町 #jishin #save_miyagi
この度の震災で安否情報を求めているうちに、様々な被災者の訴えを目にしました。
その中でも、女川在住の方の記録がとても詳細で、広く皆様に知って頂きたいと思いました。
作者の方もどんどん広めて欲しいという事なので、ここに転載させて頂きます。
津波の被害に遭いながらも、生存者としての使命を果たそうとするその姿勢に敬意を表します。
「mixi:海がみたいさんの日記より」
私は女川町から
石巻市、涌谷町、美里町を通って仙台市まで避難してきました。
私一人の情報なので量は少ないですが、全て報告したいと思います。
まず先に・・・
女川は、石浜、宮ヶ崎、大原、清水、鷲神は全壊と考えていいと思います。
旭ヶ丘は津波の被害はありません。
私は女川で地震にあいました。
地震後すぐに警報がなり、慌てて車で第一中学校まで祖母と避難しました。
その時点での大津波警報では、津波は3mということでした。
警報から15〜20分後、海面が上昇し始め、海岸から徐々に水が広がっていき、最終的には鉄砲水のような勢いで津波が押し寄せてきました。
バキバキという音と爆発音がなり続け、海水が女川町全体で渦を巻いていました。家も駅も生涯教育センターも、全部水の中で、姿もみえなくて、幼稚園があったはずの方向には海岸から流されてきた船があって、家がそのまま水に流されて浮いてた。みんな渦の中。津波は中学校の海側の坂の半分くらいまできていて、避難してそれを見つめていた人たちの肩には雪が積もってきていました。
ラジオなどでは10m程度などといっていますが、
実際にきた津波は30mちかくあったのではないかと思います。
津波は清水の奥まで届いており、本当に見える場所すべてがのみ込まれていました。高台にある町立病院の1階まで水が押し寄せて、駐車場にあった車は全て巻き込まれていました。
逃げ遅れた方も多かったと思います。家の2階や、奥のほうに住んでいた方などは、安心しきっていたかもしれません。
全てがのみこまれていました。
津波が来ている最中も強い余震が続き、中学校のグラウンドも地割れがおき始めたため、総合体育館まで移動しました。
初めは体育館も窓ガラスが割れるなどの被害があったため閉鎖されており、小学生などは芝生の坂の上にテントをはり避難していました。
雪が強くなっていたので私は車の中で暖をとっていましたが、ガソリンがなくなりかけていたので体育館のほうへ向かいました。
私が向かったときにはすでに開放されており、入り口付近では掃除用具などを入れるロッカーを横に倒しそのなかで体育館にあったプラカードや椅子などを燃やし、火をおこしていました。
ケータイは圏外、電気もガスも水道もとまっていました。
自家発電で多少の明かりはありましたが、薄暗く、窓ガラスも割れているため冷たい風が室内にも吹いて、とても眠れる状況ではなく、毛布を持ち込んでいる人もいれば、私たちのように体ひとつで逃げてきた人たちも大勢いて、寒さでほとんどの人が眠れずにそれぞれが寄り添って被害状況の報告をし合っていました。
両親を探す人。
津波にのみ込まれ、泣く泣く親の手を放した女性。
妻が目の前で流されてしまった男性。
子供を失った人。
人が車ごとのみ込まれていくのを目の前でみてしまった人。
津波がひいた後、家族の死体を見つけた人。
様々な方がいました。
自分のことで精一杯で、目の前の「助けて」の声にも、こたえられないんです。
私も地震直後のまだ電波が届いていたときに母と弟とは連絡が取れていましたが、父とは連絡が取れず不安でたまりませんでした。
1日目は何も食べることが出来ませんでした。
一晩中余震が続いていました。
2日目、早朝に「玄関にお父さんが来ている!」と言われ、駆けつけると顔中傷だらけの父が立っていました。涙があふれました。
津波に遭遇しながらもなんとか逃げ切って隣の小学校で一夜を過ごし、私と祖母のために山を越えて体育館まで来てくれたそうです。
ほかに何人も他の避難所から体育館に次々と移動してきて、体育館は人があふれていました。
昼ごろに初めての配給があり、お椀に半分のスープを食べることが出来ました。具はほとんどありません。
昼間、父と津波が引いた後の町を見に行きました。
更地になっていました。そこら中瓦礫の山です。
自宅も会社もなくなっていました。というか、土台だけです。
アルバムに写真がアップしてあるので、見ていただければと思います。
夜になり、道の側溝の網を焚き火の上にかけて、そこで拾ってきた魚を焼いていました。
子供や老人が優先されていましたが、ほとんど早い者勝ちで、私は最後に運よく食べることが出来ましたが、食べられなかった方もいたと思います。
地震があってから、まともな食料をほとんど口にしていなかったので、本当に夢中で食いつきました。本当に涙が出そうでした。
避難所は悲惨でした。
町の生臭さと、人の息、煤のにおい。
もちろんトイレも仮設のもので、そのちかくで人がひしめき合っているんです。夜は足をのばすことも、寝返りをうつこともできません。家族と連絡が取れていない人がほとんどで、食べ物もなく、みんな苛立って。
女川を一通り歩いてきましたが、本当に酷い。
被害を受けたところは、もう跡形もありません。
その後、私と父はケータイの電波が届く地域まで避難することができ、そこで母たちと連絡を取り合って、祖母も迎えにいき家族5人全員で再会することが出来ました。
今は家族全員、仙台に避難しています。
居場所がある。毛布がある。寝るところがある。
これだけのことがこんなにも幸せなことなんだと実感しています。
仙台に避難してきた日、朝から何も食べておらず、
夜に暖かいお米を食べて、心から幸せだと思えました。
水が飲めるし、お米がたべられる、本当に幸せなことなんです。
しかし、仙台でさえ食べ物が不足しており、街中のひとが食料や水を求めてスーパーやコンビニに列をつくっています。
逃げようにも、ガソリンもありません。
流通も止まっているため、在庫がいつまでもつかも分かりません。
朝から食料集めで走り回っています。
仙台ではまだ電気も復旧せず、断水が続いている地域もありますが、
女川より、余程ましです。
困っているのは同じだし、同じように苦しんでいるのはあたりまえです。
被害の大きさで図るのは嫌だけど、だけどもっと酷い地域がある。
女川だけではありません。
もっと酷い地域があります。
人が沢山死んでいます。
飲み物も、食べ物もなくて、暖をとる手段もない。
助けの届かない孤立した地域です。
家族が誰一人欠けなかったこと、
私たちは本当に運がよかったんだと思います。奇跡です。
いま、暖かい寝場所があります。
食べ物も少量だけど何とか確保できています。
励ましのメールや電話が、本当に嬉しい。
本当に支えになっています。ありがとう。
みんなありがとう、心配してくれて。
もう言葉にできません。
宮城県民、とくに女川町の情報は私が知っている限りのことを伝えて生きたいと思います。
女川はいま、瓦礫の撤去作業も進められていて、女川の外に出ている人もいます。しかし、ほとんどの人はまだ体育館で生活していると思います。
メッセージください。
女川にいる家族のことでも親戚のことでも、知っている情報は全て差し上げます。
被災地の方、頑張りましょう。
いま、私たちには何もありません。
これからどうやって生活していけばいいかも分かりません。
すぐに助かる保障もありません。
先のことは何も見えないけれど、いま生きていることに感謝です。
そう考えて、いまは踏ん張るしかないんです。
家族との連絡が取れない方
被災地では、3ヶ月近くは連絡が取れないかもしれません。
だけど、絶対に無事な人もいます。
連絡がつかなくても、絶対にあきらめないでください。
【追記】
私は今(3月16日現在)、女川にはいません。
電波の届く場所まで避難することができたため、みなさんに情報を発信しています。
誠に勝手ながら、コメントを欄追加させていただきました。
皆さんからの声が、私たちの支えです。
本当にありがとうございます。
その中でも、女川在住の方の記録がとても詳細で、広く皆様に知って頂きたいと思いました。
作者の方もどんどん広めて欲しいという事なので、ここに転載させて頂きます。
津波の被害に遭いながらも、生存者としての使命を果たそうとするその姿勢に敬意を表します。
「mixi:海がみたいさんの日記より」
私は女川町から
石巻市、涌谷町、美里町を通って仙台市まで避難してきました。
私一人の情報なので量は少ないですが、全て報告したいと思います。
まず先に・・・
女川は、石浜、宮ヶ崎、大原、清水、鷲神は全壊と考えていいと思います。
旭ヶ丘は津波の被害はありません。
私は女川で地震にあいました。
地震後すぐに警報がなり、慌てて車で第一中学校まで祖母と避難しました。
その時点での大津波警報では、津波は3mということでした。
警報から15〜20分後、海面が上昇し始め、海岸から徐々に水が広がっていき、最終的には鉄砲水のような勢いで津波が押し寄せてきました。
バキバキという音と爆発音がなり続け、海水が女川町全体で渦を巻いていました。家も駅も生涯教育センターも、全部水の中で、姿もみえなくて、幼稚園があったはずの方向には海岸から流されてきた船があって、家がそのまま水に流されて浮いてた。みんな渦の中。津波は中学校の海側の坂の半分くらいまできていて、避難してそれを見つめていた人たちの肩には雪が積もってきていました。
ラジオなどでは10m程度などといっていますが、
実際にきた津波は30mちかくあったのではないかと思います。
津波は清水の奥まで届いており、本当に見える場所すべてがのみ込まれていました。高台にある町立病院の1階まで水が押し寄せて、駐車場にあった車は全て巻き込まれていました。
逃げ遅れた方も多かったと思います。家の2階や、奥のほうに住んでいた方などは、安心しきっていたかもしれません。
全てがのみこまれていました。
津波が来ている最中も強い余震が続き、中学校のグラウンドも地割れがおき始めたため、総合体育館まで移動しました。
初めは体育館も窓ガラスが割れるなどの被害があったため閉鎖されており、小学生などは芝生の坂の上にテントをはり避難していました。
雪が強くなっていたので私は車の中で暖をとっていましたが、ガソリンがなくなりかけていたので体育館のほうへ向かいました。
私が向かったときにはすでに開放されており、入り口付近では掃除用具などを入れるロッカーを横に倒しそのなかで体育館にあったプラカードや椅子などを燃やし、火をおこしていました。
ケータイは圏外、電気もガスも水道もとまっていました。
自家発電で多少の明かりはありましたが、薄暗く、窓ガラスも割れているため冷たい風が室内にも吹いて、とても眠れる状況ではなく、毛布を持ち込んでいる人もいれば、私たちのように体ひとつで逃げてきた人たちも大勢いて、寒さでほとんどの人が眠れずにそれぞれが寄り添って被害状況の報告をし合っていました。
両親を探す人。
津波にのみ込まれ、泣く泣く親の手を放した女性。
妻が目の前で流されてしまった男性。
子供を失った人。
人が車ごとのみ込まれていくのを目の前でみてしまった人。
津波がひいた後、家族の死体を見つけた人。
様々な方がいました。
自分のことで精一杯で、目の前の「助けて」の声にも、こたえられないんです。
私も地震直後のまだ電波が届いていたときに母と弟とは連絡が取れていましたが、父とは連絡が取れず不安でたまりませんでした。
1日目は何も食べることが出来ませんでした。
一晩中余震が続いていました。
2日目、早朝に「玄関にお父さんが来ている!」と言われ、駆けつけると顔中傷だらけの父が立っていました。涙があふれました。
津波に遭遇しながらもなんとか逃げ切って隣の小学校で一夜を過ごし、私と祖母のために山を越えて体育館まで来てくれたそうです。
ほかに何人も他の避難所から体育館に次々と移動してきて、体育館は人があふれていました。
昼ごろに初めての配給があり、お椀に半分のスープを食べることが出来ました。具はほとんどありません。
昼間、父と津波が引いた後の町を見に行きました。
更地になっていました。そこら中瓦礫の山です。
自宅も会社もなくなっていました。というか、土台だけです。
アルバムに写真がアップしてあるので、見ていただければと思います。
夜になり、道の側溝の網を焚き火の上にかけて、そこで拾ってきた魚を焼いていました。
子供や老人が優先されていましたが、ほとんど早い者勝ちで、私は最後に運よく食べることが出来ましたが、食べられなかった方もいたと思います。
地震があってから、まともな食料をほとんど口にしていなかったので、本当に夢中で食いつきました。本当に涙が出そうでした。
避難所は悲惨でした。
町の生臭さと、人の息、煤のにおい。
もちろんトイレも仮設のもので、そのちかくで人がひしめき合っているんです。夜は足をのばすことも、寝返りをうつこともできません。家族と連絡が取れていない人がほとんどで、食べ物もなく、みんな苛立って。
女川を一通り歩いてきましたが、本当に酷い。
被害を受けたところは、もう跡形もありません。
その後、私と父はケータイの電波が届く地域まで避難することができ、そこで母たちと連絡を取り合って、祖母も迎えにいき家族5人全員で再会することが出来ました。
今は家族全員、仙台に避難しています。
居場所がある。毛布がある。寝るところがある。
これだけのことがこんなにも幸せなことなんだと実感しています。
仙台に避難してきた日、朝から何も食べておらず、
夜に暖かいお米を食べて、心から幸せだと思えました。
水が飲めるし、お米がたべられる、本当に幸せなことなんです。
しかし、仙台でさえ食べ物が不足しており、街中のひとが食料や水を求めてスーパーやコンビニに列をつくっています。
逃げようにも、ガソリンもありません。
流通も止まっているため、在庫がいつまでもつかも分かりません。
朝から食料集めで走り回っています。
仙台ではまだ電気も復旧せず、断水が続いている地域もありますが、
女川より、余程ましです。
困っているのは同じだし、同じように苦しんでいるのはあたりまえです。
被害の大きさで図るのは嫌だけど、だけどもっと酷い地域がある。
女川だけではありません。
もっと酷い地域があります。
人が沢山死んでいます。
飲み物も、食べ物もなくて、暖をとる手段もない。
助けの届かない孤立した地域です。
家族が誰一人欠けなかったこと、
私たちは本当に運がよかったんだと思います。奇跡です。
いま、暖かい寝場所があります。
食べ物も少量だけど何とか確保できています。
励ましのメールや電話が、本当に嬉しい。
本当に支えになっています。ありがとう。
みんなありがとう、心配してくれて。
もう言葉にできません。
宮城県民、とくに女川町の情報は私が知っている限りのことを伝えて生きたいと思います。
女川はいま、瓦礫の撤去作業も進められていて、女川の外に出ている人もいます。しかし、ほとんどの人はまだ体育館で生活していると思います。
メッセージください。
女川にいる家族のことでも親戚のことでも、知っている情報は全て差し上げます。
被災地の方、頑張りましょう。
いま、私たちには何もありません。
これからどうやって生活していけばいいかも分かりません。
すぐに助かる保障もありません。
先のことは何も見えないけれど、いま生きていることに感謝です。
そう考えて、いまは踏ん張るしかないんです。
家族との連絡が取れない方
被災地では、3ヶ月近くは連絡が取れないかもしれません。
だけど、絶対に無事な人もいます。
連絡がつかなくても、絶対にあきらめないでください。
【追記】
私は今(3月16日現在)、女川にはいません。
電波の届く場所まで避難することができたため、みなさんに情報を発信しています。
誠に勝手ながら、コメントを欄追加させていただきました。
皆さんからの声が、私たちの支えです。
本当にありがとうございます。
千葉雄右さんの無事が確認されました #jishin #save_miyagi
千葉さん本人から、電話連絡がありました!
ご家族も無事で、石巻にある自宅も高台にあり、難を逃れたそうです。
本当に良かったです!
情報を提供して頂きましたNORIさん、
共に状況を見守って頂いた山形大学音楽科の同級生の皆さん、
本当にありがとうございました。
幸い生き残った我々は力を合わせ、日本の復興のために頑張りましょう!
失われた尊い命のためにも。
ご家族も無事で、石巻にある自宅も高台にあり、難を逃れたそうです。
本当に良かったです!
情報を提供して頂きましたNORIさん、
共に状況を見守って頂いた山形大学音楽科の同級生の皆さん、
本当にありがとうございました。
幸い生き残った我々は力を合わせ、日本の復興のために頑張りましょう!
失われた尊い命のためにも。
千葉雄右さんを探しています #jishin
友人の安否情報を求めています。
千葉雄右さん(38)
石巻市在住、女川町立女川第一中学校で音楽科の教諭をされています。
山形大学教育学部特設音楽科卒業、陸上部に在籍。
身長が180cmぐらいあり、とても音楽の先生には見えませんが。
何か情報をお持ちの方は私のブログにコメントをお送り下さい。宜しくお願い致します。
《3/18追記》
千葉さん友人のNORIさんより、コメント欄を通して
「女川一中の教職員の皆さんは、震災当日の無事が確認されている」
との情報を提供して頂きました。
NORIさん、本当にありがとうございます。
しかし、その後も本人とは連絡が取れない状況です。
昨日、被災地は雪に見舞われ、寒さで極限状態が続いているのだろうと憂慮しています。
同じ東北に住みながら、我々一般人が直接手をさしのべられないこの現状が悔しくてたまりません。
千葉君、救助の手が届くまで、もう少しだけ頑張って下さい!
千葉雄右さん(38)
石巻市在住、女川町立女川第一中学校で音楽科の教諭をされています。
山形大学教育学部特設音楽科卒業、陸上部に在籍。
身長が180cmぐらいあり、とても音楽の先生には見えませんが。
何か情報をお持ちの方は私のブログにコメントをお送り下さい。宜しくお願い致します。
《3/18追記》
千葉さん友人のNORIさんより、コメント欄を通して
「女川一中の教職員の皆さんは、震災当日の無事が確認されている」
との情報を提供して頂きました。
NORIさん、本当にありがとうございます。
しかし、その後も本人とは連絡が取れない状況です。
昨日、被災地は雪に見舞われ、寒さで極限状態が続いているのだろうと憂慮しています。
同じ東北に住みながら、我々一般人が直接手をさしのべられないこの現状が悔しくてたまりません。
千葉君、救助の手が届くまで、もう少しだけ頑張って下さい!
ほぼ日手帳より
ドラッカーは、「成果をあげるためにはかなりのまとまった時間が必要」だと言います。
そのためには、まず自分の時間の使いかたを記録し、そのうち必要のない仕事、何の成果も生まない時間の浪費である仕事を見つけ出し、捨ててしまうことを勧めています。
ーー中嶋秀樹さんが『初めてのドラッカー』の『用語解説』の中で
そのためには、まず自分の時間の使いかたを記録し、そのうち必要のない仕事、何の成果も生まない時間の浪費である仕事を見つけ出し、捨ててしまうことを勧めています。
ーー中嶋秀樹さんが『初めてのドラッカー』の『用語解説』の中で
iPad2への期待
久々の投稿ですが… この動画おもしろいです。作った熱意に拍手。






